自分の子供にサッカーをさせる為に、生まれてくる前からプロになるまでやっていた事など紹介致します。
少しでも参考になりましたら、うれしいいです。
その前に、私自身の紹介を簡単に、お話しします。
日本で産まれてすぐにアフリカのケニアで生活、父親の仕事の関係で約5年(5歳まで)アフリカで生活をしてました。
アフリカでは言葉は、スワヒリ語と英語でして、親が忙しい時は、ケニアの女中さん(現代で表すとメイドさん)にお世話してもらっていて、丁度同じくらいの子供がいて一緒に見てもらっていました。
幼いながら、いまだに記憶があります。
言葉は、現地の保育園では、英語で話し、家に帰ってくると英語・日本語のミックスだったらしいです。ちなみに英語は、ペラペラだったのですが、残念ながら英語もスワヒリ語も忘れてます…
もったいない…
前置きが長くなってしまいましてすみません。
日本に帰国後は、山梨の韮崎市というところに住みまして、そこで初めてサッカーと出会います。小学1年生の年代です。
住んでいた所は、とても自然豊かな、山の多い大草町若尾という所です。
学校までは、朝は集団登校で、片道1時間かかって学校に行ってました。全校でも100人ほどの小さな小学校へ上級生の背中を、いつも追っかけて走って汗だくで、教室に着いていたのを思い出します。
入学式も終わり、しばらく経ってから、日曜日に一人で家の前の道路を歩いていたら、急に車が止まり、”おい!ぼーずサッカーやるよな!車乗っていげ”と声をかけられ、球技が大好きだった為、そのまま車に乗ってサッカーをやっている会場に、連れて行かれました。(一歩間違えると誘拐ですね😅)
今考えると、かなり危ない事でしたね!これが私のサッカーを、始めるキッカケでした。
そこのチームは今では、大問題になる超スパルタサッカーでした、常に低学年選手達も上級生と一緒に走り、ビリから何番は、監督や上級生から、もも蹴りや冬場は、プールに張った氷を割って持ってきて顔に擦り付けられたり、よく顔から血が出てました。😢
その他は、グランドで、低学年の子たちは、親から帰りに飲み物でも買って飲みなさいと渡された、お金を上級生たちに、毎回巻き上げられキャップ一杯渡され飲まされた記憶もあります。
そんな事が、毎日の様に続き、いつしか絶対に負けない勝ってやる!!という気持ちに代わっていき、その頃から超のつくほど負けず嫌いになりました。😎
体の大きかった私は、何かと目をつけられ帰りも、(あたりは真っ暗の森や墓地を抜けて帰る道最悪です…)中学生くらいの子にナイフで脅され、金出せと言われたり、今考えると完全にアウトですね。
そんな状態でも、サッカーを辞めず続けられたのは、後にお話ししますが”サッカーが楽しかった、好きだったからです”あとは負けたくないという気持ちがあったからんでしょうね☺️
〜幼い頃サッカーで記憶に残っているベスト4〜
⭐️練習で初めてインステップで蹴れた時の事
⭐️で、初めてシュートを決めた時の事
⭐️で、監督に褒められた事
⭐️に、勝った事
この様なことは、本人にとってはかなり強い記憶に残る様です!!
自分の事を、話すと長くなり過ぎますので、残りは、簡単に説明します。
山梨からその後、新潟県へ、引越しこれまたほとんどサッカーをやっている人がいない…
見渡す限り、野球、野球
なんとか、サッカーチームを見つけ、長いサッカー人生が、本格的に始まります!
大学を卒業後某チームへ、半月板損傷という大怪我をしてトッププレーヤとしては、終了
その後は、社会人サッカーをやりながら、指導者への道が始まります。